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2010年5月

遅かった…生きた証を残せ!!!

友人が急逝した。

交通事故で…。

即死だったらしい。

年老いたお袋さんが「私より早く…」と声を詰まらせ、

奥さんは放心状態。(普通に見えたが動作が…)

出棺時、息子さんも声を上げて泣いていた。
中学3年の男の子が声を上げて泣く位、良い親子関係だった。

なぜ生きた証を残さない!!!

残された、愛する人達はどうする!!!

いつ、どんな事が起こるか分からない!!!

生きた証を残せ!!!


どんな形でもいいから…

残していれば、あんなに家族が悲しむ事も無かっただろうに…
ずっとずっと、お前の愛が家族の心に元気を、愛を、パワーを与える事が出来たのに…

猛省…
絶対に取り戻せない事をしてしまった…
こんな仕事をしていながら…
もう少し話がしたかったぞ…
息子は皆で気にかけるから安心しろ。




Papas
※写真は関係ありません。

残り文の目的について-2

先日、あるお知り合いに送ったメールの文章を掲載します。
あくまで健忘録として。
でも、日々感じている事が良く分かると思いますので掲載致します。

この頃、世の中あまりにも殺伐としていると感じませんか?
親殺し、子殺し…。
騙し、騙され、憎み、陥れる…。
人の心が荒んでいると思います。
パチンコ屋の駐車場に子供を置き去り「蒸し焼き」にしてしまうとか…。
この頃加速度的に増えているように感じませんか?

「なんでこんなに荒んでしまったのだろう…」といつも考えていました。
「どうにかならないものなのか?」

子供は社会の「鏡」と言いますね。
子供は純粋で、本質まで見抜き行動に移すからです。
非行はもちろん、強盗や殺人まで犯し、
この頃は、子供たちまでホームレス化しています。
一番の問題は子供たちに「夢」が無い事…。愛が無い事…。
専門学校の講師をしていたので、身近に感じていました…。

「何が、どうしてしまったんだろう?」
「こんな世の中では無かった」

そんな事があり、考えました…。というか、
ずっと考えていました、解決方法を。
こんな自分でも何か出来ないかと。

このままでは、人の心がもっと荒んで、元には戻れなくなってしまうでしょう。
愛まで感じなくなってしまうからです。

原因を考えました。
その一つが「愛が無い」事です。
心に「愛」が無いのです。
そして心同士の繋がりが無く、それぞれバラバラなんです。

昔の家族なら、例えば
お父さんが、子供をきつく叱ったとします。皆に聞こえるほど。
それを見ていたおばあちゃんが泣いている子供を呼び、
お父さんがきつく叱った理由を、分かりやすく説明します。
子供はそれを聞いて「愛されていること」を感じます。
お父さんと、おばあちゃんと、家族に。
それでこそ「家族」です。愛がちゃんと伝わりました…。

それが無ければ、ただ訳も分からずひどく怒られた、としか残らないかも
しれません。コワい親としか…。本当は「愛して」いたのに。
繋がらないんです、愛が。
核家族の弊害です。

日本人は木と紙の文化で、消え去る事が「美徳」とされてきました。
その当時は、家族が沢山いて、一つ屋根の下に住んでいましたから、
あまり問題にはならなかったのでしょう。消え去っても。
でも、今は核家族化が進み、おじいちゃん、おばあちゃんの居る意味が
無くなって「お荷物」になり、
お父さん、お母さんは子供に愛が伝わらず「ウザイ」だけの親になり、
「繋がり」が無くなり「愛」が伝わらない、事が「原因」かと思いました。
心が寒くなる事件の本質、「人の心」に愛が残って無いんです。

事件を起こす人は、もしかしたら「愛された事が無い」人なのかもしれません。

でも、愛の言葉はいつも口に出す事は出来ません。
外人ならともかく、日本人にはその習慣が無いんです。シャイと言うか…。
だから、親がそう考え子供たちを呼び「お前たち愛してるぞ!」と言っても
すんなり心に届く訳はありません。たぶん、
「大丈夫?」「酒飲んでる?」「様子おかしい」と思われるのが関の山かな?
(少しは気持ち分かってくれるかと思うが…)

「愛されていた」事は、日々の生活で消費されてしまい、どんどん心から無くなってしまいます。
だから「カタチ」で残す事が必要です。

一生で一番、本当の言葉・気持ちを伝える事が出来るのが「臨終の時」だと思います。
「社会的地位」とか「金持ち」とか「イケメン」とか関係なく、一人の「人間」として
言葉を、気持ちを残る人たちに伝えられるはず、心に届くはずです。

社会に愛が無くなってしまった、高度成長期に「捨てて」しまったのかもしれません。

だから、「臨終の時」に「カタチに残る」ものが必要かと。

それが僕のやりたかった事「残り文」です。
僕も48歳で、働けるのももう20年あるかないか…。
僕たちが壊してしまったこの世の中に残された子供たち、孫たちに申し訳ありませんし、
こんな世の中では可哀想と思いませんか…。彼らはこの世界で子供を作り生活して行くんです。
なんとかしないと…。

「残り文」はネットで文章を残し、一家相伝で伝えます。
それを後世に伝えるのが「本家相伝屋」です。
子供が3人居るんで大丈夫です。

心に愛が有れば、優しくなれます、他人にも自分にも自然にも。
心に自信が湧きます、だから正しい行動が出来ます。
人は愛をもらったら、他の人にも愛を伝える事が出来るようになります。
って言うか、人は愛をもらったら、愛を他の人に伝えなきゃいられない生き物だと
思っています。
みんなが優しくなれると思っています、信じています。

でも、こう思っていても皆が知って、使ってもらわなければ意味が有りません。
だから、知り合いにお願いして広めてもらっています。

また、県、市単位でなんとかしてもらおうと今行動中です。

○○さんも賛同頂けたら「こんな人が居る」でも、「こんなサイト」があるよ、
でもいいですから、広めて頂けたら助かります。

下にサイトのアドレスを書きます。
・「残り文」www.nokoribumi.net(グーグルで「残り文」と検索すると出ます)
・「相伝屋」www.soudenya.com(グーグルで「相伝屋」と検索すると出ます)

あと「群馬経済新聞」に取材を受けましたのでご覧下さい。

http://www.gunkei.com/

です。本文を読むにはログインが必要です。
ユーザー名 
パスワード 
です。
新聞なので客観的に見ています。

長くなりました、すいません。

会える日を楽しみにしています。

ではでは。

香草考-02 利用価値高い!フェンネル。

この文章は、とあるフリーペーパーで3年間連載した文章を「香草考」としてたまに掲載したいと思います。

フェンネルは大変利用価値の高いハーブで全草使うことができます。料理から健康、染色まで使えるスーパーハーブです。そして北欧ではダイエットに活用されています。 フェンネルの種類の中のフローレンスフェンネルの、茎の肥大した部分を「フィノッキオ」と呼び、野菜として食べます。とりわけわが家ではフィノッキオが大好きで、ザクザクと切ったフィノッキオをそのまま何も付けずに食べるのがベスト!息子達はマヨネーズがお好みです。サクサクとした歯ごたえと、甘くさわやかに薫り高いフィノッキオはサイコーです。
 同時期に黄色い小さな花が咲きます。可憐な花束のような花です。出来れば花はそのままに…種になるまでほっておいて下さい。種には色々な使い道があり、クッキー
やハーブティー、ピクルスの香り付け等に1年中使えるスグレモノです。
○使い方 
メインはなんと言っても魚料理に尽きます。白身魚のワタを取った所にフェンネルの葉の部分をザク切りにし、粗塩と一緒に詰めオーブンに。簡単で本格的な1品になりますよ。
Photo


ラジオ通販から考える…?

 仕事場でFMラジオをつけて仕事をしているんですが、(一人だと、どうしても人の声を聞きたくなりますね…)気になった事があります。それは「通販番組の多さ」です。

近県の放送局3局を気分次第で変えて聞いているのですが、
まあ通販番組の多い事…。
CMではありません、通販番組です。

スポンサー無しの番組、会社経営は無理な話でしょうから理解は出来ます。
でも、帯番組(毎日、同じ時間帯で放送)で何時間毎での放送は、
正直言って耳が疲れます。

ラジオの利用者は、多分毎日聞いているユーザーだと思います。たまに聞く人は本当に少なく、そういう方は何かの切っ掛けでたまに聞く状況ではないかと。そういう方には通販番組は効果があるでしょう。

毎回聞いていると疲れるので、違う放送局に変えてしまいます。結果その商品、その番組、その局自体がが聞いてもらえない状況に陥ります。企画を変えても気がついてしまいます。鍛えられていますから。

相伝屋は元々広告屋でデザイナーで、編集者でディレクターでした。
なのでこんな事を考えてしまう「クセ」が付いてしまっています、悲しい事に…。

ラジオの局は多分それで良いのでしょう。
そうする事でしか経営が成り立たないのであれば。

でも、聞かれなくなったら元も子も無いのでは…?

スポンサーは費用対効果も検証しているでしょう。それでも大丈夫なのですね。
そういう意味ではFMというメディアは効果があるのでしょう。

リスナーが聞いて、楽しい、ためになる、もっと聞きたい、明日も聞きたい、
というプラスの面と、
コマーシャルが聞きたくない、通販番組の押しつけが聞きたくない、どうでもいい、というマイナスの面のバランスで成り立っていて、今はまだプラスの面が大きいのでしょう。

でも、耳につくのは確かで、
ある意味聞き流す事が出来ないほど出来がいいのでしょう。
でも、聞き流す事が出来ないのは苦痛なので、局を変えます。
局を変えれば、伝わりません。伝わらなければ商品は売れません。

どうですか?どうどう廻りでしょう?

聞かせる為に努力すると、聞きたくない人には苦痛でしかない。

見せる為に努力すると、見えてしまう事は苦痛。

売ろうとする為に努力すると、買わない人にとっては苦痛。(押しつけが多くて…)

百貨店が苦労している。物の無い時代に百貨店には夢があった。そんな物があふれていたから、ワクワクした。今でもワクワクしたい気分は残っている。

選ぶ自由は自分たちにあります。

社会が熟成し、違う価値観を個々各自で育てています。
自分では分からなくても育てています。
今のマーケットはその価値観に合わないんです。

大きなメディアを利用して成長してきた大手広告代理店が軒並み業績が降下しています。なぜでしょう?

当時大手の広告代理店が広告を大メディアで出し、民衆を宣揚し、
売り上げが上がった。
しかし、それも効果が落ちてくると、
宣揚どころか「騙し」に近い表現までするようになった。
宣揚され、騙されたと感じた人たちがどんどん増える。そこに外部からの景気の低下。
より消費が減る。全てではないにしろ。
そんな市場・人を作ってしまった。
土俵が変わってしまった。

まあ元々パッケージでしか判断が出来ないから100%消費者を満足させる事は出来ませんが。

負のスパイラルです。

何を信じて良いか分からない状態…。
これでは広告代理店の業績が降下して当たり前でしょう。

土俵が変わってしまった今でも、
当時と同じような訴求方法での広告もまだまだ目立ちます。
その広告が意味が無い事より、そんな表現をしている商品、会社まで、どんどん印象を悪くしている事に気がついていません。
「まだ私たちを騙そうとしている…」「もう騙されない」

医薬品の流通業に関わっていた事もあり、そこでの薬事法の表現はどんどん厳しくなっています。
以前なら「〜に効きます」と言えた事が同じ商品でも言えなくなっています。
元々主観的な表現はNGだった事が多いのも確かですが、行政からの指導が大々的に行われています。
私は「業界保護」だと思っています。でも、メーカーや売る側にとってはそうでは無いでしょう。
自社商品を過剰に宣伝し、宣揚する事が許されないのですから。

この規制は時代の流れに合っていると私は思います。市場保護にもなりますし。

今の時代を「個の時代・個人の時代」と表現している事も多いと思いますが、
時は流れ、今は「本質」の時代だと思います。
人々が様々な「本質」を求めているのに、それとは全く正反対の表現をしていては見向きもしてもらえないどころか、印象を悪くしてしまうでしょう。

マーケティングは死にました。
「本質」にマーケットは関係ありませんし、元々マーケットは「後から付いてくるもの」で「今」を判断するものではありません。「傾向」でしかないでしょう。
マーケティングを元に話す方も居ますが、現在の私は信じません。

であれば、いかに「本質」に対し、どう表現するか?を考える事が賢明でしょう。
「本質」を掘り下げる努力が必要です。
土地柄や風土、人をどう取り込み、どうアウトプットするかが問題です。
そしてそこに少し現代のエッセンスを加える事が大切かな。

その人、その会社、その商品がいかに「人の本質」に近いかを組み立て、検証し、積み上げて行く事が命題となるでしょう。

そういう意味で地方には東京には無い、まだまだ宝が沢山ありますよ。
人の数、風土の数だけ本質がありますから。

ゴールデンウィークと上海万博…。

我が家は、ゴールデンウィークに出かける事は少ない家族です。
なぜかというと、栃木に来る前は千葉県の某都市の近郊の観光地に住んでおり、
ゴールデンウィークとなると、道は渋滞、スーパーの駐車場は一杯、物価まで
高くなる有様。
救急車も消防車も渋滞で通れず、抜け道は皆無に等しいので大変です。
家族で遊んだ奇麗な海岸も、他府県ナンバーの若人が我が物顔で闊歩し、
荒らし、ゴミを捨て、でかい車で路地をぐちゃぐちゃにして帰って行く…。

波乗りしてたら「オレ地元、ローカルだから」って言った奴、
顔知らないし…。
あ〜あ。

その有様はまるで「難民」…。テント脇に洗濯物を干し、地面で飯を食い、
その辺で用を足す…。
傍若無人。家族で来ている場合、親がそんな有様だから、子供にも
遺伝するんだろうな…と思ったものです。

まあ、そんな人たちばかりじゃないけれども。

観光で地域を起こそうとしている自治体は、大切なものをどんどん
無くしているのに気がついているのだろうか?
地域とは関係のない文化の匂いだけ運んできて、今まであった文化を
せっせと消している。
住民と風土が作り上げた、取り戻せない大切なものを。

そんなので騙せると思っている?やっちゃった?
ふぅ、なめられたもんだね。おっと辛口。
双方とも。

我が家の子供たちはそんな様子を知っているので、ゴールデンウィーク
には出かけようとは言いません。

家に居るとどうしてもテレビを見る機会が多くなり、見るとは無しに
見ていると、上海万博の様子が放映されていました。
その時は、開場してすぐの様子でしたがこれが…。
この傍若無人ぶり…、おぉ、あの時の観光客たちと同じ行動パターン
じゃないか!
「自分だけ良ければ」という方程式がまかり通っている。それが若者
ではなく、見た限り50代〜の人たちが目立つ。

ハハなんだか懐かしい風景…。

自分は違う!と思っている自分にちょっと違和感を感じた。

それは、この世界の環境についてだ。

なんか変だと思わない?だって息をしないと死んでしまうのに、
どんどん空気を汚している。
新鮮で奇麗な水が無いと生きて行けないのに、土を農薬で汚染し、
水の汚れを食べてくれる微生物を殺し、溶剤垂れ流し…。

「自分や家族、会社だけ良ければ」

人間は命一つ、どんな微生物の小さい命さえ、今の科学、人間では
作れないのに、どうして命を無くす事が出来るんだろう。
作れないのに、消すから、問題になるんだ。
誰か法律を作ってくれないかな。「命を殺す事が出来るのは、
その殺した命を作れる人だけ」と…。
人間だからって、他の種を根絶やしにすることを許された訳じゃない。

海だって同じ。
海産物の産地ほど原発が立ち並び、放射能垂れ流し。
その海で育った魚を人間が食べる…。

程度の問題?

自分で自分の首を絞めて楽しいのだろうか…。
違う…。
知らないうちに2次的に協力しているんだ…。
そんな人たち(先生?)に「道徳」がどうとか言われたくないよね。

心の底にある方程式は皆同じ。

「自分だけ良ければ」

こんな世界しか残せなかった懺悔を、子供たちにしなくてはならない。
こんな世界に自分の子供を残したくないという、
子供を作らない夫婦も多い。

なんでこんな事が分からない?
分かっているけど、行動に起こせない?
すんなり心に入ってこない?
その理由は?

愛が足りないから…?
愛された事が分かっていない?
愛されていた証拠が無いから分からない…?
心の中に、愛を感じる部分が無い?

僕もその一人かもしれない。

負のスパイラルはどこかで切らないと。

なんて考えていた連休でした。
Ca3g0090
ほら、こんなに奇麗。


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